週末の夜の広場にはさまざまなグループが車座になっていた。
「ホームレス、リストカットを繰り返す人、オタクみたいな人たちとか。誰が入ってもいい場だから、そこで一杯飲んだ後、ちょっと回ってきます、という感じでぶらぶらした。グループごとに話の内容が違うから、面白かったんです」
カメラを出さずに数カ月間、輪の中に入って話を聞いた。写真を撮るのはそれからだ。
「撮るだけ撮って、去ったりすると、『なんだ、あいつ』って、うわさになるから。『あいつ、また来たか』みたいな感じになるまで仲よくなって、それから堂々と撮ったほうが楽なんです。かばんの中身の撮影ではゴン太が友だちを紹介してくれた」
声をかけたホームレスは100人以上。
「片づけは全部ぼくがやりますから」と言うと、笑いながらかばんの中身を出してくれる人がいた一方、「嫌だよ、恥ずかしい。何でそんなものを見たいんだよ」と断られることもあった。
それでも70人ほどがかばんの中身を撮らせてくれた。出身地を聞くと、北海道、沖縄県の人が多かった。
「最初はちゃんと働いていたんだけど、けがでクビになったとか。でも、みんなそのへんのことはほとんど話さない。ぼくもそこまでは聞けなかった」
結局、梁さんが想像していた「大切なもの」はかばんの中にあったのか?
「ない、ない、全然なかった。ほとんどが食べ物、衣類とか。やっぱり生きていくには食べ物なんだな、と思って、ちょっとがっかりしたんですけど」
昔は暗黙のルールがあった
今でも1、2週間に1回は歌舞伎町を訪れる。しかし、撮影するのはホストクラブなど、店内がメインで、広場や路上で写すことはほとんどなくなった。
「道を歩いていても、撮りたい人があまりいないんですよ。昔はおかしな人がいっぱいいた。普通の人でもあっちを見たり、こっちを見たり、何か面白いことはないかな、と探している感じがあった。でも、今は行くところが決まっていて、よそ見をしない。真っすぐ歩く人ばかりになった」
かつての歌舞伎町では、たばこの吸い殻がポイ捨てされ、空き缶がゴロゴロしていた。そんな「人間のにおいがプンプンする街」の空気が好きだった。
「再開発されて、確かに街は奇麗になりました。でも、歌舞伎町くらいは『グレー』でいいのに、と思う。それを白くしようとするから、いろいろなことがインターネットのやみにもぐってわからなくなってしまう」
当時の広場には混沌(こんとん)とした中にも暗黙のルールがあったという。「帰る場所があるなら、帰ったほうがいい」と、「トー横キッズ」のような子どもたちを諭す大人もいた。
「リストカット組は週に1回集まって、来週また会えるように頑張りましょう、と言って、飲んだり、踊ったりして帰っていった。そういう人たちが居づらくなって、もう来ないんですよ。週末の楽しみさえなくなり、ネットの世界に入っちゃって、『殺してください』とか書き込んでいるのではと思って、勝手に心配しちゃうんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】梁丞佑写真展「荷物」
禅フォトギャラリー(東京・六本木) 1月12日~2月3日