ただしそれは、さまざまな苦しみから離れて、悟りを得て、釈迦の本当の人生が始まったという二分的なかたちになっています。つまり、悟る以前の釈迦の人生は神話的な物語として、克服されるものとして語られているわけです。

 要するに仏教者にとって、悟り以前の釈迦の人生、あるいはその人生観は仏教以前という位置付けでしかありません。

 近代的仏教学も、釈迦は仏教以前のバラモン教、つまりインド古来の知識人たちの人生観を否定して、出家をして悟りを開いたという前提に立っています。釈迦は悟ることによって、それ以前にインド社会の一般的な知的な人々が考えていた人生観を抜け出たと。

 しかし釈迦の人生は、仏教以前からある当時の知識人たち、あるいは一般のバラモン教徒たちの人生観と対比しながら考えないと、悟ったあとの釈迦、賢者の釈迦の姿しか見えてきません。そこに至るまでに苦しんだ釈迦のライフステージが隠されてしまうからです。

 つまり、近代的仏教学のように悟り以前と悟ったあとの釈迦を真っ二つに分けて考えると、釈迦の80年の生涯を全体として捉えることができないんですね。

 だから仏教以前からインド社会の中にある知識人から文字の読めない庶民までを含んだ広範な人々の人生観、死生観を明らかにする必要があります。そして、そこに生まれ育った釈迦が徐々に苦しみから抜け出ていくプロセスを捉える必要があるわけです。

 インドの歴史やインドの哲学者、賢人たちが説いた教えなどを総合的に見渡すと、そこには共通して流れている人生観があります。それが初めに述べた四住期なんですね。人間というものは四つのライフステージを経て最期を迎える。それが非常に理想的であるという人生観です。

 四住期という考え方が釈迦のはるか以前から説かれていたことは、たとえば、バラモン教の教えをまとめた『マヌ法典』を読むとよくわかります。

『マヌ法典』は紀元後に知識人によって文字化されたものですが、その内容は古来、口頭で伝承されてきた事柄であって、仏教以前から広範な人々に受け入れられてきた教えです。つまり四住期は、インドの普通の庶民が自然に受け入れていた人生観なんですね。

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「四住期」の中身とは?