平安時代四百年。日本史上、これほど長い時代は他にはない。歴史学者・関幸彦氏は、この長期にわたる時代を、平安京にイメージ化される時期と、それから脱皮して京都と呼称される段階とに区別した。十世紀以降である後者の“王朝時代”について再考していく。藤原道長と紫式部に象徴されるこの時代は、優雅さや弱々しさとは異なる面も持ち合わせていた。まずは能の舞台ともなった『源氏供養』を元に、『源氏物語』の意味を関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、解説する。
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『源氏供養』について
まずは『源氏供養』を素材に本編への助走としよう。これは紫式部が男女の秘事を『源氏物語』で広めたため、彼女は地獄に堕ちたという伝承をテーマとする。式部の霊を供養することに力点がおかれ、異色の作品といえる。
「謡曲」とは、室町時代に登場する能の台本をさす。能をご覧になった読者ならおわかりだろうが、今日風に表現すれば“3D”風味の立体的な紙芝居と考えることもできる。中世の人々を楽しませた演劇的娯楽の一つである。多くが過去の歴史的出来事に取材している。王朝時代や源平の争乱をテーマとした作品も多い。
『源氏物語』の内容を材料としたものとして、「夕顔」「葵上」「野宮」「玉鬘」「浮舟」等々は有名だ。主役は「光ノ君」、すなわち「光源氏」の縁者たちだ。これらの作品群は、王朝世界を追憶する“依代”となっている。
いまさらながらの『源氏物語』を語るのは、『源氏供養』を介して、王朝時代の扉を敲くことにある。小説・文学的世界とはいえ、『源氏物語』がある種の実在性を以て、王朝貴族たちに迎えられたことは間違いない。