鎌倉幕府から江戸幕府まで、政権を握った武家。社会におけるその本質を、日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
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「武士」から「武家」へ
「武家」とは何か――。当たり前すぎて疑念さえ持ち得ない語だが、武力・軍事力により武権を行使することを認定された存在。そんな解答をしたとしても、さほど深さのある内容ではないはずだ。そもそも、その武家の主要な構成者たる武士とは何か。それ自体が難問でもある。武士とは武力を職能とした身分・制度上の呼称である。その点では、武的領有者たる「兵」(ツワモノ)なり「武者」(ムシャ)と親和性を有する。そして武家は、身分としての武士を全般に統括する権力体と定義できる。
けれども「武士」は社会的・実態的呼称の「兵」とは異なる。「兵」は、彼らがその誕生当初にあっては、反社会的存在としての側面も有していた。武士の場合「士」という漢語に適合するように、権門に奉仕する者として位置づけられる。かくして身分としての「武士」が成立する。「兵」はその意味で「武士」の語に先行する。「武士」の多くが地域の領主である場合もあるが、全ての「武士」が領主であったわけでもない。
いずれにしても「武士」であるためには社会的・国家的認定が必要とされた。つまりその“出生証”ともいうべき「兵ノ家」たる出自が求められた。兵から武士への転換のなかで、諸権門の武的奉仕の「侍」と同義と解され、身分的秩序に包摂された。「武家」はそうした様々な側面を統合する権門として機能する。それ故に「武家」は「武士」の意向の代弁者であるという側面のほかに、その利益を抑制する面もあった。