沢木さんも横浜国大を卒業したあと、就職をしている。が、丸の内に出勤をして一日で辞めてしまった。ゼミの教授はそんな沢木さんに「君は書くことが向いているかもしれない」とTBSがかつて出していた『調査情報』という雑誌の編集者を紹介した。
そしてエッセイには、イラストレーターの黒田征太郎に名刺をつくってもらった話が出てくる。「ルポライター」という肩書の名刺をつくってもらうが、黒田は沢木さんにこう言うのだ。
「どんな者にでもなることはできる。肩書をつけた名刺を一枚持てばいいのだから。しかし、難しいのはなりつづけることだよ」
そうか、でもとりあえず「なる」ことはできるんだ。そう思うと気が楽になった。
こんなふうに読者は旅の途中に読んだ沢木さんのエッセイに自分の人生を重ね合わせていたのだろう。
『トランヴェール』編集に存在する厳しさ
『トランヴェール』で沢木さんを担当していたのは、牧一彦という超ベテランの編集者だ。
連載の依頼をしに、牧が最初に会った時、沢木さんは自分が16歳の時に東北地方を一人旅で回った話をしたそうだ。
高校二年生になる前の春休みに東北を回った。
旧国鉄の学割の「均一周遊券」を使い、11泊の旅路のうちに、車内泊が7泊、駅のベンチで寝たのが2泊。
秋田から青森に行き、龍飛崎にいこうとしたが、怖じ気づいて青森に戻ってきてしまった。
それらの話は、実際に連載で何回かにわけて書かれることになる。
最初に会ったときから、沢木さんはタイトルも用意していたそうだ。
「旅のつばくろ」
「つばくろは、つばめの意味なんだけど、一般の人にはわかりにくいので、エッセイの最後に広辞苑からの説明をつけることにしましょう」
そう沢木が言うので、牧は嬉しくなった。
もう、コラムの完成形が見えているのだ、と。
牧のほうからはこんな提案をした。
「写真も沢木さんが撮影してくれませんか?」
旅費や宿泊費など気になる経費については「ご自由にお使いください」と牧は沢木に言っている。沢木さんのことだからそんなに高い宿には泊まらないし、お金はかからないと思っていたそうだ(実際にかからなかった)。