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 2024年の大河ドラマは、吉高由里子演じる紫式部が主人公の「光る君へ」。紫式部と藤原道長の関係を軸に、1000年の時を超えて読み継がれるベストセラーとなった『源氏物語』はいかにして生み出されたのかを描く。

 1月7日の初回放送を前に、紫式部が身を置いた平安貴族の世界の実際を、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)で予習しておきたい。今回は、働き方について。

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 平安時代の文学に描かれる貴族の生活は、非常に優雅でのんびりとしているように見える。だが、実際は優雅なだけではなかったようだ。

 朝は、日の出前に打ち鳴らされる太鼓の音で目覚めた。起きてすぐお祈りや占いなど行い、日記を書いた。この日記は宮中や家の儀式のやり方などを細かく記載した備忘録のようなものだ。軽く朝食をとることもあったようだ。

 そして出仕(出勤)の合図を告げる太鼓が鳴らされると、貴族たちは続々と天皇がいる内裏に向かった。夏至の時期では午前3時、冬でも午前5時には活動を開始する、という朝型の生活だった。

 午前7時ごろからは仕事の時間。内裏では、名前、官職の書かれた「日給簡(にっきゅうのふだ)」に日付を書いた紙を貼り付けると仕事が始まり、主に書類の確認や儀式などの業務をこなした。紙は天皇の秘書にあたる蔵人がまとめて天皇に奏上し、評価の基準となった。

 上級貴族は午前中のうちに仕事が終わることも多かったが、大変なのは中級や下級の貴族である。会議、書類の決裁、掃除、天皇の食事の給仕といったことに加え、天皇が音楽や歌などを求めればすぐさま参上して楽器を演奏する、という接待奉仕を行うこともあった。

 何より一番大切な仕事は、年中行事を滞りなく済ませることだ。過去の事例を確認しながら準備や支度に相当の時間を費やしたという。

 仕事が終わると邸宅に戻り、午前10時ごろ、ようやくきちんとした朝食をとった。その後は自由時間。友人同士で碁やすごろくをたしなんだり、女性への和歌の返事を考えたりと、文化的な遊びで時間をつぶした。

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月に20日以上宿直を愚痴った貴族も