ヴィッセル神戸の優勝で幕を閉じたサッカー・J1の2023年シーズン。このシーズンは、2022年7月の日本代表戦で右膝の前十字靭帯を断裂し、一度は「引退」を決めたものの、シーズン中に見事「復活」を遂げた宮市亮選手(横浜F・マリノス)にとっても、特別なシーズンとなった。宮市選手はなぜ、5度もの大ケガを経験してなお、前を向き続けられたのか。発売されたばかりの初の自著『それでも前を向く』から一部を抜粋・加筆して、数々の苦難の果てにたどり着いた「前へ進むための思考法」の一端を紹介する。
* * *
横浜F・マリノスの仲間からもらったやさしさ
右膝に大ケガ(3度目の前十字靭帯断裂)を負った日本代表戦の翌々日(7月29日)は、横浜F・マリノスのチームが練習している場所に行くことにした。翌日に鹿島アントラーズ戦を控え、午前中から非公開練習を行っていた。
右膝にまた大ケガをしてからまだF・マリノスの選手たちには会っていなかった。心配をしてくれているだろうみんなに、あいさつがしたかった。大事な試合に向けた激励のつもりだった。
競技場に着くと、入り口でオーストラリア人のヘッドコーチ、ショーン・オントンさんとばったり会った。
最初は明るく「グッドモーニング」という感じだったが、立ち話をしているうちに、右膝の話になった。すると、オントンさんは「リョウはここまで頑張ってきたのに、神様はまた、リョウにこんなにひどい仕打ちをするのか」とわんわん泣いてくれた。
じつは、彼も親族に不幸があったばかりだった。にもかかわらず、僕のために本気で、ビックリするくらいの号泣だった。僕も感極まって、一緒に泣いた。
鹿島戦に向けたチームミーティングでは、マスカット監督が「本当に残念で悔しい。けれども、このリョウの思いを背負って、今シーズン戦っていきたい」とみんなの前で話してくれた。これも、すごくうれしかった。
あとで聞いたところによると、この時の僕の態度や雰囲気から「やめるのかも」と察した選手が多かったようだ。選手たちとはあまり話し込むことなく引きあげた。