サントリーウエルネスでの会議。Jリーグの4チームでスタートした「Be supporters!」は、同社推進のもと広がり続けている(撮影/伊ケ崎忍)

 以来、小国は、勝手にストッパーを利かせようとした場面では、いつも、この“で?”を自身につきつけるようになる。

 山形放送局に着任してほどなく、小国は、倉庫にあった「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」など過去のドキュメンタリー映像を毎日片っ端から見ていった。ただ見るだけでなく、カット割りを書き写し、ナレーションを書き出し、自分の心が動いたところにマーキングする。酒も飲まず、仲間ともつるまず、温泉にも行かず、ひたすら毎夜倉庫のビデオを憑(つ)かれたように精査した。ドキュメンタリーの醍醐味(だいごみ)にいったん気づいてしまった小国はただ突き進むだけだった。

心臓病でドクターストップ PRの仕事で高い評価

 5年半後、東京に異動となった小国が最初に担当したのは、「クローズアップ現代」。続いて小国は、人物ドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」のチームへと移っていく。

 4年半の「プロフェッショナル」担当中、制作したのは6本。その中の1本に「介護福祉士 和田行男の仕事 闘う介護、覚悟の現場」がある。

 和田行男は、できることは利用者が自分でやれるよう支援し、その人の気持ちや能力を引きだしながら手だてをとる福祉施設をつくってきた。

 そんな和田の施設に小国が飛び込んできたのは、2012年のことだった。

 1カ月半、小国は和田と利用者に密着し、その言葉を拾い続けた。和田が言う。

「『僕は和田さんともっと早くに出会って介護を知ってたら、こっちへ来てたかもしれない』と言うから、『何でだ』って聞いたら、『いやあ、介護はクリエイティブですね』と。多彩、多様であることが僕にとっての“面白い”の基準なんだけど、小国さんはたくさんの色を持っていた。アイデンティティーもあるし、世の中で何が大事かを見抜いていく力もあるとそのとき感じました」

 その後も、小国は全力で番組制作に没入し続けるが、和田と会った翌年の春、突然、ディレクター業に終止符が打たれる。心臓病を発症したのだ。

「ロケに行って、編集やって、自分としてはやりがいのある、めっちゃ楽しい作業だったんですけど、ドクターストップがかかってしまった」

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