ようやく手にした幸せな家庭、若い妻と幼い娘たちに捧げるアルバムは、構想と方向性こそ明確ではあったものの、ロバート・ジョンソン・プロジェクトを終えたあとも、思うように進んでいなかった。2004年は、クロスローズ・ギター・フェスティヴァルを実現させただけではなく、かなり密なスケジュールでツアーをつづけ、並行して、なんとか満足のできる内容に近づけていったようだ。具体的には「娘たちが大きくなってからも聴いてくれる」アルバムということである。
05年を迎えて最初に発表された大きなニュースは、しかし、そのアルバムの完成ではなく、クリームのリユニオン・コンサートだった。クリームが目指したものや成し遂げたこと、栄光と挫折については、本Web連載の9、11、13、16回で詳しく書いたとおりで、再結成はほぼ不可能と思われていた。93年1月にはロックンロール・ホール・オブ・フェイムの授賞パーティーで3曲を演奏しているのだが、このときもそのまま活動再開とはならず、ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーはゲイリー・ムーアとのトリオ=BBMをスタートさせている。つまり、クラプトンにその気がなかったということだ。
そのクリームが、さまざまな確執を乗り越え、ついに3人でステージに立つことを決めたのである。このとき、最年少のクラプトンが60歳。ブルースが肝臓の手術を受けていたことなど、年齢や健康の理由も大きかったはずだ。
会場は、クリーム解散コンサートが行われた場所でもある、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール。5月2日、3日、5日、6日の4回、計約55,000枚のチケットは発売とほぼ同時にソールドアウトになったという。
90年代以降、いわゆる往年の名バンドのライヴでは、たとえばローリング・ストーンズやイーグルス、ピンク・フロイド、ザ・フーなどのように、何人かバック・ミュージシャンが加わることが一般的になっていた。だが、クリームは結成時の理念がそうであったように、ここでもトリオにこだわり、もちろん事前に録音した音やクリックなどに頼ることもなかった。3人だけで、連日19曲、約2時間の、渋くて熱いライヴを聞かせたのである(取り上げられたのは、《アイム・ソー・グラッド》、《ホワイト・ルーム》、《クロスローズ》など、クリームの、というだけでなく、ロック/ブルースを代表する名曲ばかりだが、現役時代にはライヴを聞かせる機会すらなかった《バッジ》も演奏している)。
コンサート・プロダクションや収録は、当然のことながら、クラプトン・サイドのスタッフで行なわれた。そして、早くも同年秋にはそれぞれの2枚組のCD版とDVD版がワーナー/リブリーズから発表されている。細かくは内容が異なるのだが、どちらも、すべての曲の収録日を明記。4回のコンサートでの意識の流れのようなものも伝わってくる、貴重なライヴ・ドキュメンタリーとなっている。
余談だが、終盤の《トード/いやな奴》でベイカーが長いドラムス・ソロを聞かせていたとき、ステージ上手の暗がりに目をやると、まだ小さな娘を膝に乗せて楽しそうに微笑むクラプトンが、そこにいた。[次回7/15(水)更新予定]