姉の後悔を小さくすることが、父の望みなのでは

 後日、施設退去の手続きに来られたBさんは、次のように話していました。

「自分は幸い、施設の近くに生活圏があって、父の世話をすることができた。遠方にいる姉にはそれができなかった。実際に父の状態を目の当たりにして、ショックだったんでしょう。スタッフのみなさんに当たったりしていましたが、本心はそれまで正面から父の介護に向き合ってこなかった自分への怒りだったんだと思います。姉にはきっと後悔が残るでしょう。あのときはどんなに話し合っても姉にわかってもらうのは無理だったと思います。それなら、姉の言うとおりにすれば、姉の後悔は少しは小さくなるのではないか。それが、最期に父の望むことなのではないかと思い、救急車を呼びました」

 Bさんは私たちに申し訳なかったと言って、頭を下げられました。

父の希望を無視した結果になってしまった

 Bさんきょうだいの場合、Bさん、兄、そして私たち職員との考え方の一致はありましたが、姉とはそれがありませんでした。気持ちのうえでも一致していなかったのです。その結果、「施設で死にたい」というおとうさん本人の希望は無視され、結局、きょうだいのために救急車が呼ばれることになりました。

 Bさんは「父の介護については後悔はない」と言いました。しかし最期におとうさんの望みをかなえてあげられなかった無念は残るでしょう。

 いま、振り返ってみて、Bさんきょうだいはどうすればよかったのでしょうか。

 姉には、どんなに忙しくても自分の目で、おとうさんの様子を見に来てもらうべきだったのかもしれません。あるいはもう少し、親の老いや死について知識をもってもらうべきだったのかもしれません。Bさんはメールで報告するだけでなく、そのときどきにきょうだいで話し合うべきだったのかもしれません。そして私たち介護職員は、ほかのきょうだいの理解・納得はどうなのかを、Bさんに確認すべきでした。

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悔いの残る、深く考えさせられる経験