私が、おとうさんご本人が望んでいること、サービス担当者会議の記録や重要事項説明書、契約書に長男が署名捺印していること、長男とBさんが参加した会議で合意がとれていること、それをもとにケアプランを作成していることなど、事細かに説明をしましたが、気持ちがたかぶっている姉の耳には入っていない様子です。
兄も加わってなだめようとしましたが、「私は聞いてない、施設で暮らすことは知っていたけれど、ここで死ぬとは思ってなかった。具合が悪いのに病院に連れていかないとは考えもしなかった」と泣いて話します。
最期のときにあらわれる症状に驚くことも
穏やかにいかせてやりたいというのはすべての家族の思いだと思います。しかし、最期の瞬間の前にどんなことが起こるかは、老衰による人の死を経験していなければ、想像がつかないのでしょう。
人が亡くなる前は、言葉どおりに眠るかのようにいく人もいますが、人それぞれ様子は異なります。たとえば、血圧が低下するまたは上がる、高熱を出すまたは低体温になる、白目をむく、眉間にしわが寄って苦しそうな顔をする、けいれんを起こす、血を吐く、うめく、肩が上下するような呼吸をするなどさまざまで、それは医師でも想定できないことです。
これらの症状を目の当たりにすると、だれもが驚き、怖がり、「救急車を呼ばないという判断は正しいのだろうか」と考えてしまいます。
ましてや、姉はここまで介護にまったく関わらず、老衰で弱った父親の姿を想像すらしていませんでした。初めて見る光景はさぞショックだったのでしょう。救急車を呼んで、病院に運んで治療をしてもらうべきだと感じてしまいました。「老い」や「死」を初めて実感する人の、当然の反応なのかもしれません。
騒ぎ立てる姉を見て、Bさんは悲しくなったと言います。どんなに言葉を尽くして説明しても、親の老いを感情として受け入れられないおねえさんには通用しないとあきらめて、私たちは切ない思いと判断で、救急車を呼ぶことにしました。おとうさんは結局、病院で息を引き取りました。