杉本昌隆(すぎもと・まさたか)/1968年11月13日生まれ。55歳。愛知県名古屋市出身。90年、四段。2002年、朝日オープン準優勝。19年、八段。22年、通算600勝達成。藤井聡太八冠の師匠(撮影/加藤夏子)

「22歳になる少し前でした。自分の予定よりは2、3年遅かった。当時は羽生さん(善治現九段)の存在が大きかった。羽生さんは私より2歳下ですけれど、中学生棋士(15歳デビュー)になって。20歳超えてからのデビューは、後れをとってしまったかなと」

 杉本は振り飛車党のホープとして活躍を始めた。

「私はけっこう晩学というか、勝率が上がったのは20代の終わり頃からでした」

 1997年度は0.761というハイアベレージをマークした。

「勝率1位はなんとしても取りたかったんですけど、年度末近くに内藤國雄九段に負けたのが致命傷で、最後は1厘差で2位でした。1位はその後棋聖となる郷田さん(真隆現九段)。内容的にも当然向こうの方が上です。それでも自分の中では『惜しかった』という思いはありましたね」

 杉本は師匠の遺志を受け継ぎ、名古屋在住の棋士として活躍を続ける。2002年には朝日オープンで勝ち進んだ。

「中原誠十六世名人との準決勝がすごく記憶に残っています。中原先生は子どもの頃から目標ですし、それまで公式戦では2局負けていたので」

 大一番を制し、決勝五番勝負に進出。最後は堀口一史座(現八段)に1勝3敗で敗れたが準優勝の成績を残した。

「一つの棋戦で最後まで勝ち残るのは、棋士にとって本当に嬉しいことだとわかりました。決勝戦は同じ立場で、挑戦者もタイトルホルダーもなかったんですが、タイトルに挑戦したような気持ちを味わわせてもらいました。番勝負の間は主催者の方々と一緒に行動をともにし、本当にいい経験ができました。思い直してみれば結果は残念ですが、いい思い出でもあります」

 杉本の名が棋界に大きく広まった2002年。東海では次代のスターが産声をあげていた。それが藤井聡太だ。(構成/ライター・松本博文)

AERA 2023年12月18日号

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