撮影:武田孝巳

地雷被害者から普通の人々へ

当時のカンボジアはまだ内戦の影を引きずっていた。武田さんは地方都市、バッタンバンの郊外にあるICRC(赤十字国際委員会)義肢センターを訪ね、地雷被害者と出会った。地雷被害の悲惨さを痛感するとともに、必死にリハビリを続ける人々の姿に心を揺さぶられた。

ところが、しばらくすると、自分の取材姿勢に違和感を覚えるようになった。

「確かに地雷被害者は大勢いる。けれど、カンボジア全体の人口からすればごくわずかでしかない。それをクローズアップするのは違うんじゃないか、と思った」

武田さんはカンボジアの普通の人々の生活にレンズを向けるようになった。郊外のゴミ捨て場、水上集落、農村に足を運んだ。

「よそ者が入るのが難しい場所なので1カ月滞在しても、その半分くらいは取材の下準備です。現地に何回も足を運び、少しずつ信頼関係をつくっていかないと、撮れない。それに、『明日、撮らせてもらえませんか』と、電話して連絡がつくようなところではありませんから」

さらに、「ぼくは他の写真家と比べて、全くの『鈍行』で、撮るのが遅いんですよ」と、口にする。

撮影した写真がたまっていくと、それを見返し、「自分の思いはこんな感じなのかなあ」と考え、またカンボジアへ向かった。

それを繰り返して写真をまとめ、作品集『クメール-愛しきカンボジア』(窓社)を2009年に出版。次に向かったのは隣国ラオスだった。

「ラオスはすごくいいところでした。社会主義国家なんですけれど、政府は強権的じゃないので、人々はのんびりしていた」

ところが、すぐに撮影を断念した。

「ラオスはほとんどが農村で、どうしてもカンボジアの写真と似てしまったんです」

撮影:武田孝巳

すごく楽しく生きている

武田さんは撮影テーマを大きく変え、12年から大都市バンコクを撮り始めた。

「カンボジア取材ではバンコクまで飛び、そこからバスで入国していたんですが、経由地だったバンコクを撮ったら面白いんじゃないか、と思った」

内戦の生々しい記憶が残るカンボジアの人々にはとげとげしい一面があったという。

「それに比べると、タイの人たちは柔軟で、縛られていないというか、マイペンライ精神ですごく楽しく生きている感じがして仕方なかった」

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もやもやを押し殺さない