今オフは2018年のセーブ王、ソフトバンク・森唯斗が年俸4億6000万円から戦力外となり、世間を驚かせた(その後、DeNAが獲得)。過去にも高額年俸を貰っていながら、まさかの戦力外通告を受けた主力選手が何人か存在する(金額はいずれも推定)。
【写真】「2億円」が「400万円」に急降下 球史に残る“大減俸”を味わった選手がこちら
エースとして開幕投手を務めたシーズン終了翌日に、青天の霹靂とも言うべき戦力外通告を受けたのが、日本ハム・西崎幸広だ。
1986年のドラフト1位で日本ハムに入団した西崎は、1年目からリーグ最多勝(88年)を含む5年連続二桁勝利を挙げるなど、10年間通算114勝2セーブを記録。同期の阿波野秀幸(近鉄)とともに“トレンディエース”と呼ばれた。
だが、8度目の開幕投手を務めた97年は、右足内転筋や首筋を痛め、8試合登板の3勝3敗、防御率3.12というプロ入り後最低の成績でシーズンを終えた。
こうした事情から、西崎はFA権を行使せず、残留を決めたが、10月3日、球団から「残れば(年俸1億3000万円から)大幅ダウンだ。それにトレードもある」と思いもよらぬ非情通告を受けた。チームの若返りを図る上田利治監督の次年度構想から外れていたのだ。
「今まで自分がやってきたことは何だったんだという感じですね」とショックを受けた西崎だったが、「こうなったら何とか見返してやりたいという気持ちが強いよ」と日本ハムと対戦できるパ・リーグの球団への移籍を希望した。
その後、西崎の実力を評価した西武・東尾修監督が「(現役時代に着けていた)21番を譲る」とラブコールを贈り、先発投手が不足するダイエーも参戦。だが、ダイエーは交換要員で折り合わず、同29日、石井丈裕、奈良原浩との2対1の交換トレードで、西武への移籍が決まった。
「戦力外通告を受けたときから、日本ハムを叩くためにパ・リーグを希望していた。復讐心がないと言えば嘘になる。(目標の)10勝のうち、8勝は日本ハムから挙げたい」。
リベンジを誓った西崎は、翌98年は脇腹の故障などで1勝に終わったが、抑えに転向した99年は4月7日の日本ハム戦でセーブを記録し、ルーキー・松坂大輔のプロ初勝利をアシスト。「ここで逆転されたら、国民的悪者になるところだった」の名セリフを披露している。