高年俸選手への戦力外通告といえば、年俸2億2000万円から自由契約になった2017年オフの巨人・村田修一を思い出すファンも多いはずだ。
同年の村田は、開幕からマギーに三塁の定位置を奪われたものの、一塁も守るなど、118試合に出場し、打率.262、14本塁打、58打点を記録。減額制限を超える大幅ダウン提示はあっても、戦力外はまずないと思われた。
ところが、10月13日の交渉の席で待っていたのは、「来季契約を結ばない」という事実上の解雇通告だった。鹿取義隆GMは「まだ十分選手としては力があると思うが、特に内野手の若返りを図るためにこういうことになった。苦渋の決断だった。(金銭や人的補償が必要なFAより)自由契約のほうが彼にも選択肢が広がるということで自由契約に至った」と説明した。
通算2000安打まで「135」に迫っていた村田も「必要とされるところで、野球がやりたいです」とNPB他球団でのプレーを望んだが、願いは叶わなかった。
当時、移籍先候補に挙げられながら、獲得を見送ったヤクルト・小川淳司監督は「村田がいると、つい使いたくなってしまう。しかし、それでは若手が育たない」と語っている。使いたい選手なのに獲らないのは、「そりゃ、ないよ」と言いたくなるような話だが、翌18年、ヤクルトはドラ1ルーキー・村上宗隆がシーズン終盤に三塁を守るなど、21、22年のリーグ連覇への布石を打つことができたのも事実。巨人も同年は岡本和真、吉川尚輝が一気に台頭し、両チームの新旧交代は大成功を収めた。
村田にとっては、37歳という選手として晩年にあたる時期に、補強ポイントと合致する複数のチームで若返りプランが実行されたことが不運だった。しかし、現役最終年となった18年、BC栃木に入団した村田は「できる最善を尽くしたい」と最後まで全力プレーをまっとうした。
減額制限を超える大幅ダウン提示をのむか、自由契約を選ぶかという事実上の戦力外通告に対し、自ら自由契約を選んだのが、オリックス・坂口智隆だ。