米国ワシントンDCのシンクタンクでのオンラインイベントで。プレゼンの技術は外資系企業時代に徹底的に鍛えた。身ぶり手ぶり、目線、話し方……。「言う中身も大事だけれど、言い方もとても大事」(撮影/ランハム裕子)
米国ワシントンDCのシンクタンクでのオンラインイベントで。プレゼンの技術は外資系企業時代に徹底的に鍛えた。身ぶり手ぶり、目線、話し方……。「言う中身も大事だけれど、言い方もとても大事」(撮影/ランハム裕子)

■佐島直子の本を読み米国大学院への留学を決意

 東京出身。父が本好きで、家に本が大量にあった。父の前で正座をして日本文学の名作を何度も音読し、書き取りをするのが日課だった。森鴎外の「山椒大夫」、志賀直哉の「小僧の神様」、国木田独歩の「武蔵野」、芥川龍之介の「杜子春」……。

『赤毛のアン』が大好きで、小さい頃はアンのように夢見がち。小1の授業参観の時のこと。先生の「教科書を開いて」の声に、彼女は下を向いて固まったまま。しばらくして、はっと気がついたように周囲をきょろきょろ見回して教科書を取り出した。「何をしていたの?」と後で両親に聞かれ、「赤毛のアンの続きを考えていたの」と答えた。

 父の本の中の、トロイア遺跡を発見した19世紀の考古学者、シュリーマンのことを書いた『夢を掘りあてた人』を読んで考古学者に、そして塩野七生を読み、歴史家になりたいと願う。

 大学では史学を専攻し、サークルにも入らず、ひたすら勉強した。博物館の仕事にも興味があったので学芸員の資格を取得、「2回卒業できるくらい」の単位を取った。卒論は、ルネサンス期のベネチアの経済発展と文化史がテーマ。大学院に進んでイタリア史の研究者になるつもりだった。

 ところが、家族が体調を崩して状況は一変。進学はやめて、急遽(きゅうきょ)就職することにした。すでに一般企業の就活の時期は過ぎていた。公務員を受験しようと決めたが、1カ月しか時間がない。国家一種は難しく合格は厳しい。二種や専門職に焦点を定めたが、さてどこにするか。ちょうど、北朝鮮による拉致事件が問題になっていた。「横田めぐみさんが拉致された時は自分に近い10代。こんな理不尽なことが許されてはいけないと憤りを感じていた」。官庁訪問もして、安全保障や防衛問題に興味を感じて防衛庁(当時)を受けることに。猛勉強して語学の専門職に採用される。

 防衛省の仕事は面白かったが、定期的に人事異動がある。「これから働き続けて40年たった時に、自分は何をやったんだろうと振り返ったら、このままでは『いろんなことをやりました』になってしまう。一本筋を通した専門家になりたい」。焦りが募った。そんなときに佐島直子の『誰も知らない防衛庁』という本に出会う。防衛官僚から研究者になった女性が書いたものだ。リヤカーを引いて自衛隊の装備品を配る仕事から、仕事の合間に大学院に通い、防衛研究所の研究職となって道を切りひらいていった様子を描いていた。

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