「彼女はキャリアに行き詰まっていた時に大学院に行って人生を立て直した。そうか、その手があったか、勉強すればいいんだ」
自分の未来に光が差してきたようだった。国際安全保障の専門家になろう。世界最高の安全保障を勉強できるところ、米国の大学院に行こう。省の制度を利用して留学するのは難しく、退職して留学することを決意した。大学の時に米国を旅行して英語が全然通じないことにショックを受けてから、TOEICの勉強を続けていた。
「米国の大学院への留学って、2千万円分の投資」だからと、入念に準備を重ねた。候補を八つに絞ったが、詳しい授業内容が書いてあるウェブサイトは学生でないと閲覧できない。そこで「私は学校に関心があるが、授業内容を見たいのでウェブサイトを閲覧させてください」と事務局にメール、アクセス権を得た。フルブライト奨学金に応募しようと説明会に出かけ、1列目に座り、フルブライトの経験者のプレゼンが終わるやいなや「私もフルブライトで留学したい。応募書類を見てもらえませんか」と押しかけた。
■アジアのCSの論文 睡眠を削って書き上げる
「アメリカはほぼ全てが交渉可能。努力して達成しようとすれば応援してくれる」。ひたむきな努力と共に、彼女を貫く生き方だ。並行してそれら大学院の同窓会に「在校生の日本人で安保を勉強している人を紹介して」と依頼、30人ほどにメールした。「返ってきたメールで一番幸せ度数が高く感じられた」のがジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院(SAIS)だった。
SAISに無事合格し、フルブライト奨学金も得て渡米。ところが、大学院の高度な授業の英語は段違いに難しく、大量の読書の課題にも追いつけない。我こそはと競って質問する同級生たちに割り込むのも大変だ。緊張感に満ち、追い立てられるような日々。何とかついて行こうと教授たちに「授業では一番最初に質問させてほしい」と頼み、まじめにノートを取っている人を見つけて「ノートを交換しよう」と持ちかけた。
CSとの出会いは偶然だった。2010年、授業でたまたま隣席に座った友人が、外交関係の学術誌の編集者だった。「今すぐCSの論文書ける人いないかな」と話しかけられた。「私じゃだめ?」。思わずそう答えていた。
「今話題になっているのはアジアだし、それなら私にも強みがあるかもしれない。国際安全保障のテーマで、本能的にこれはチャンスと思いました」