アジアのCSをテーマに執筆することになった。ただでさえ授業の準備で忙しいのに、「引き受けたのを後悔した」が、新しいCSという分野を調べるのは面白くて、没頭した。睡眠時間を極限まで削って書き上げた。英語は友人が直してくれた。「安全保障で、自分にしかできないこと」をついに見つけたのだった。
就職先を見つけるのにも苦労した。シンクタンクに勤務したいと思ったが、奨学金の条件で、留学後の米国滞在は1年しかできない。「せっかく米国に来たんだから働いてみたい。でも1年しか働かない人なんて雇ってもらえない」。DCのシンクタンクでアジア研究をしているところには片っ端からメールをした。「私はあなたの研究に関心があります。お茶してもらえませんか」。お茶を何十杯とのみ、手書きのお礼状を書いた。とにかく今自分にできる最大限のことをやろう。「同級生のなかで、私よりもネットワーキングに力を入れた人はいない。それは自信を持って言える」
その思いが通じたのか、ハワイに拠点を置くシンクタンクからサンフランシスコでの日米安全保障に関する会議の招待状が来た。出席して全ての会議で手をあげて質問をするよう努めた。その様子がシンクタンクの幹部の目にとまり、短期の研究員に応募して採用された。テーマは「日米のCS研究」にした。機会は必ずものにして、次に生かす。これもまた、彼女の生き方を貫いている。
ハワイに滞在中、所属するシンクタンクを日本記者クラブの一行が視察に訪れたことがあった。所長へのインタビューに同席したときに、通訳が安全保障の専門用語に詳しくなく、言葉に詰まってしまった。とっさに助け舟を出すと、視察後、記者から電話がかかってきた。「明日の通訳をしてくれないか」。その記者の一人、共同通信の特別編集委員、杉田弘毅は「通訳も的確、安全保障の知識も豊富で、ポイントを押さえていた」。
■身銭を切って学んだ 国外で通用するプレゼン力
12年に就職先は決まらないまま帰国。だが、人脈作りの努力が生きた。知人の紹介で会った人のなかに、日本の日立システムズの社員がいた。「帰国したら遊びに来なさい」。その言葉を思い出して、訪ねたら「一緒にやりましょう」。11年9月に三菱重工がサイバー攻撃を受けたことが報道され、CSへの関心が日本でも高まっていた。「サイバーセキュリティアナリスト」の誕生だった。
(文中敬称略)
(文・秋山訓子)
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