1969年8月、池田市に生まれる。両親と兄2人、妹の6人家族。父は繊維商社を経営して、商品見本を詰めたスーツケースを手に、よく欧米へ出張した。土産話に、海外への関心が生まれていく。兄たちと同じ大教大付属池田小へ通い、1年生の終わりに同級生に市立秦野小学校のグラウンドでやっていた少年サッカー団に誘われ、卒業するまで週末に参加した。

 秦野小学校へも『源流Again』で訪ねた。当時はすごく広く感じたグラウンド。姿形は変わってなく、靴底にシュートの練習をした感触が甦る。中学校でも、サッカー部にいた。でも、高校はラグビー部だ。当時人気のドラマ「スクール☆ウォーズ」でラグビーが格好よく映り、やってみたくなった。

 校舎の壁に、自分がいた少年サッカー団の小さなポスターがあった。顔を近づけて「わあ、30年も同じコーチがいる。すごいなぁ。ここに7歳で入団して47年、半世紀ですね。まだまだ頑張ってほしいですね」と言って、頷いた。

大学ではゴルフ部 練習に通ったコース キャディーも務めた

 大教大付属高校池田校舎から大阪大学経済学部へ進み、今度は体育会のゴルフ部へ入った。土日に練習に通ったのが、池田市を流れる川の上流にある猪名川国際カントリークラブ。早朝に先輩が運転する車に乗って約50分、日の出とともに着き、客がくる前にコースの半分を回らせてもらう。日中はキャディーをやり、終わると残る半分を回る。腕は、アマチュアとしてはいいほうだった、と思う。

 ゴルフ場も、再訪した。1番ホールのティーグラウンドに立つ。阪大を卒業して以来、30年ぶりだ。見下ろしのコースの右手に、バンカーがある。よく打ち込んだ。キャディーをやって練習プレーをさせてもらえたのは、まだバブル期が終わってなく、キャディー不足だったからだろう。昼食付き、アルバイト代も出て、恵まれていた。

 全国にローソンは10月末で1万4625店。1店、1店がそれぞれの小さな地域で10年、20年、30年と商売を続けていく。地域に2千人がいれば、成り立つ。地域で育ち、地域の温かさを保つことにいかに貢献できるか。そう考えると、まだまだ道半ば。だから進む。

 ゴルフ場を後にして『源流』となった校長の言葉を聞いた市内へ戻るとき、そう確認した。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年11月27日号