この研修に参加したある地方議員はAERA dot.の取材に、

「26日の朝、ホテルのフロントに集まったときは、もう松川先生はおられず『先に娘さんと帰国された』と聞きました。その日の夜はパリの日本大使館で大使との夕食会が予定されていたのですが、団長の松川先生がいなくて大丈夫なのかと思いました。エッフェル塔の写真は25日に撮ったものですね」

 と話した。

別の党務を優先するよう幹部が指示

 さて、ここからは松川氏の主な回答を記す。

 まず、研修の日程が1人だけ「前乗り」で、1日早く帰国なのはなぜなのか。

「7月27日は党本部にて大阪の衆議院選挙区支部長の候補者面接があり、(女性局長枠として)面接官の業務を行う必要が生じたため。候補者面接がセットされたのは研修の約2週間前という直前で、党幹部に相談したところ、研修を途中で切り上げて帰国し、27日の面接官の党務に対応するよう指示されたもの」

 松川氏はそう回答し、当初から党の指示で1日早く切り上げる予定だったことを明かした。そして、28日からインドで開かれるフォーラムに参加することも決まっており、それらを考慮すると24日に出発するのは過酷なスケジュールで、体力的にも1日前乗りしないと無理だったとしている。

 この点については、前出の外務省OBがこう指摘する。

「外務官僚にとって強行軍の日程は当たり前です。松川氏は外務省の元官僚ですよ。この程度で過酷なスケジュールって、外務省で何を学んできたのでしょうか」

24日は大使館の支援を受けていない

 次に「調整中」と書かれていた“空白”の24日の日程について。

「24日は、時差調整と本件研修の準備、日印フォーラムの準備、本隊(自民党女性局)到着の準備を行っていた。なお、大使館等からの支援は一切、受けていない」

 この日は観光などには出ておらず、便宜供与は受けていないということを示しているのだろう。

 そして、娘に対しての便宜供与については、

「女性局が手配した添乗員が子ども達の監護をしていた」

「大使館、大使館員の支援を受けていない」

 などと答えている。

冒頭に「BENGI」と書かれた外務省の文書。現地での便宜供与の内容が書かれている
次のページ 「私の行動について発信したものではありません」