中臣鎌足が中大兄皇子に靴を差し上げた 小栗角界図書館デジタルコレクション
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 千三百年以上もの長きにわたり浮沈を繰り返し、生き抜いてきた日本史上最強の氏族である藤原氏。藤原氏の繁栄は、中臣(藤原)鎌足が中大兄皇子(天智天皇)と結んで、蘇我氏打倒のクーデター(乙巳の変)を起こしたことに始まる。『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して紹介する。

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中大兄皇子との出会い

 皇極三年(六四四)一月、中大兄皇子が法興寺(飛鳥寺)の槻の木の下で蹴鞠に興じていた時のこと。皇子が鞠を蹴り上げると、勢い余って沓が脱げ落ちた。これを拾い上げ、ひざまずいて両手で捧げたのが中臣鎌足であった。『日本書紀』が記す、中大兄と鎌足の出会いのシーンである。そして、これが藤原氏の栄光の歴史の第一歩となった。

 もちろん、この出会いは偶然ではない。前年、蘇我入鹿が有力な皇位継承候補者だった聖徳太子の遺児山背大兄王とその一族(上宮王家)を滅ぼした。従兄弟の古人大兄皇子を即位させ、蘇我氏の独裁体制を固める布石だったといわれる。風雲急を告げる中、かねて蘇我氏打倒の志を抱いていた鎌足が、計画を実現する盟主と見込んだのが中大兄だった。

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入鹿の暗殺と大化の改新