“アスリート魂”に火が点き、保護活動に力を注いだ

「トゥルボ」が旅立った後、私は放浪犬だった「もも」を千葉の保護団体から迎えました。すると翌春、「もも」を散歩させていた河原で野良の子を4匹見つけたのです。

保護犬・ももちゃんと子猫

 そのままだと死んでしまうと思い、「保護しよう!」と決めました。河原の側に住むおじいさんが親猫にごはんをあげていたので、「避妊去勢もしないとだめ」ということも伝えました。子猫4匹はすぐ知人がもらってくれましたが、おじいさんがまた6匹子猫を見つけたので、そのうちの2匹は私が飼い、残りの4匹をまた知人に譲渡して……。

 でも、よくよく考えると私の家の側にもまだ野良猫の子がいたし、おじいさんに野良猫の手術を勧めるだけでなく「自分でもしないと!」。そう思って親猫をTNRして子猫を保護・譲渡したのですが、次のシーズンにまた、子猫が家の側に現れたんです。

 そうか、家の周りだけでなく、住んでいる地域全体の猫の手術をする必要があるんだと気づき、河原に住むおじいさんと、隣のエリアの餌やりさんの協力を得て、2年かけて手術をしたんです。それで活動は終わりにしようと思いましたが、うちの歯科の患者さんが保護団体でボランティアをしていたり、知人から「こんな可哀想な子がいるのですが」と相談されたりして、結局、仲間と3人で団体を立ち上げて、動物の保護をすることにしたのです。

 保健所から乳飲み子を引き取ると、数時間おきにミルクをあげるために眠る時間も少なくなる。でも、私は負けず嫌いなアスリートなので、「できない」とすぐにいうのが嫌で、とことん頑張ってしまうんですよね。

河原の側で保護された陽(左)と直ちゃん。貰い手がなく野下さんのうちの子になった

 家がないとか家族がいなくなって「行き場がない」動物に対して、「どうにかしてあげなきゃ」と心が動いて、さらに頼まれたら断れない性分でもあり、保護する動物が増えていきました。たとえば2016年には12匹、その翌年から21匹、25匹、46匹……というように。

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