究極のナルシスト・富江を描くときはいつも一番美しくなるように気をつけていると伊藤氏は語る。「富江 画家」より
究極のナルシスト・富江を描くときはいつも一番美しくなるように気をつけていると伊藤さんは語る。「富江 画家」より
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 本日『NHKアカデミア』(NHK Eテレ22:00~)で2週にわたって特集される漫画家の伊藤潤二は『富江』『うずまき』の作者として知られ、いまや日本が世界に誇るホラー漫画家だ。「漫画のアカデミー賞」とも呼ばれる米アイズナー賞を4度も受賞し、今年は世界的な漫画イベント、仏アングレーム国際漫画祭や米サンディエゴコミコンで名誉賞を受賞するニュースも入ってきた。そんな伊藤氏がはじめて自身のルーツや作品の裏話、さらには奇想天外で唯一無二な発想法などについて明かした『不気味の穴――恐怖が生まれ出るところ』を今年書きあげた。ここでは、その一部を抜粋・再編集してお届けする。

*  *  *

ホラー漫画で重要なのは“普通”と“異常”の対比

 今までいろいろなキャラクターを描いてきた私だが、その多くは「自分がもしこうなったら、あるいはこんな他人がいたらどうしよう」という人間に対する懐疑から出発している気がする。幽霊、妖怪、悪魔、怪物のような超常的存在よりも、不可解な人間のほうが、私にとってはよほど恐ろしい存在なのだ。

 例えば、『なめくじ少女』は、鏡に映った舌の形や動きがなめくじみたいで、「本当に舌がなめくじになってしまったらどうしよう」という発想から生まれた。また『ファッションモデル』の淵も、「サメみたいな女がいたら怖いなあ」という個人的な恐怖感から生まれたものだ。最初から恐ろしい化物を作ろうと思って描いたわけではない。

普通の女の子の舌が突然なめくじになってしまう「なめくじ少女」
普通の女の子の舌が突然なめくじになってしまう「なめくじ少女」

 ホラー作品は、「ある日突然、無力な主人公が理不尽な出来事に見舞われる」というのが一種のテンプレートになっている。このとき化物に襲われるのであれ、奇妙な世界に足を踏み入れるのであれ、主人公は極めて“普通の感覚”をもって怪奇現象に接しなければならない。それがいかに恐ろしい世界なのかを「読者に説明する存在」でなければならないからだ。つまり主人公は“恐怖を克服してはならない”のだ。

 さらにホラー漫画を深く考えていくと、大切なのは“対比構造を明確にすること”だとも言える。

 普通と異常。
 美しさと醜さ。

 作品の中で、それらのコントラストがはっきりするほど、恐怖の影も色濃くなる。そのため奇妙な世界や異形の存在を際立たせるには、それに対峙する人間は無色透明であるほうが望ましいと私は思う。

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伊藤潤二

伊藤潤二

高校卒業後、歯科技工士の学校へ入学し、職を得るも、『月刊ハロウィン』(朝日ソノラマ)新人漫画賞「楳図かずお賞」の創設をきっかけに、楳図氏に読んでもらいたい一念で投稿。1986年、投稿作「富江」で佳作受賞。本作がデビュー作となり、代表作になる。3年後、歯科技工士を辞め、漫画家業に専念。「道のない街」「首吊り気球」「双一」シリーズ、「死びとの恋わずらい」などの名作を生みだしていく。1998年から『ビックコミックスピリッツ』(小学館)で「うずまき」の連載を開始。その後も「ギョ」や「潰談」など唯一無二の作品を発表し続け、2017年には漫画家生活30周年を迎えた。

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