昔からテレビはありました。けれどもテレビはあくまでも演出された空間でした。『朝まで生テレビ!』のような例外はありましたが、ふつうの討論番組はだいたい台本どおりの話をしているだけです。

 報道番組や討論番組からは人間性が伝わってきません。逆にワイドショーは人間性は伝えているかもしれませんが、議論になっていません。内容がある議論をしつつ、人間性も伝わるような長時間の動画をだれもが安価に発信できるようになったことは、言論のありかたを変える革命になると思います。

 訂正する力は身体と深く関係しています。そもそも、「いま言ったのはそういう意味ではなくて」という対話中の訂正が、なぜ受け入れられるのでしょうか。

 日常的にみな行っている行為ですが、考えてみればそれはすごいことです。訂正は文字だけでは実行しにくい。なぜならば、文字だけで「さっき言ったのはそういう意味ではなくて」といった自己否定を繰り返していたら、単に支離滅裂な文章になってしまうからです。

 でも、ぼくたちは日常の会話ではそういう訂正を平気でなんどもやります。なぜそんなことが可能かというと、そもそもぼくたちはしゃべっているとき、じつは同じ言葉を同じ意味で使っているとはかぎらず、相手の顔や反応を見ながらどんどん意味を変えていっているからです。そしてその前提をたがいにわかっている。

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