ひろゆきさん自身の言葉にヒントがあります。彼はベストセラーとなった『論破力』のなかで、討論には必ずジャッジをつけろと述べています。勝ち負けを判断する観客がいないとディベートが成立しないというわけです。

 ぼくはひろゆきさんほど観客はもっていませんが、似たことを考えていました。ただしぼくが想定する観客は、勝ち負けを判断するというより、話の本題とは別の感想を抱いてしまう「いい加減な観客」です。

 たとえば、「このひとの主張は弱い、議論には負けてる」と判断を下しつつも、「でも悪いやつじゃないな、話の続きを聞きたいな」と思ってしまうような観客です。そういう観客が多くいると、訂正する力が機能することがあります。話し手が意見を訂正したり、負けを認めたりしても、「それはそれ」で真意をつかんでくれるようになるからです。

 そういう価値転倒は、ツイッターだと情報が少なすぎてあまり起きません。けれども動画では生じることがあります。ひろゆきさんも人気があるのは、じつは論理が強いからだけでなく、彼のしゃべりかたに特徴があって魅力的だからだと思います。人間はそういうところで動かされるものです。言葉だけを取り出して「このひとがこのひとを論破した」などと騒いでも、対話の本質をつかまえることはできません。

動画配信が可能にしたもの

 どのような口調で、どういう顔でしゃべっているか。そのような付加情報を動画によって気軽に何万人もの人々に伝えることができるようになったのは、情報技術のおかげです。

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日常会話では平気で訂正をする