だから、「前後の流れからある言葉を選んでしまっていたけれど、それはさっきいい言葉が思い浮かばなかっただけで、本当はこのように言ったほうがいいのだ」という訂正ができる。言葉の外部への信頼感があるからこそ、言葉を訂正することができるのです。

 これを哲学的に理論化すると、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論やバフチンのポリフォニー論といったものと関係することになります。ですが、そんな理論を知らなくても、対話というのが「そういうもの」だというのはだれでも知っている。対話においては、しゃべっているあいだに「あれ、さっき言ったことが伝わっていないな」と思って「いや、さっきのはそういう意味じゃない」とどんどん言葉を重ねていくことができる。それが活き活きとした対話です。

 文字だけの空間ではそれができません。少なくとも、とてもやりにくい。

 だからSNSは本質的に対話に向きません。訂正する力にも向きません。そういう意味で、動画の誕生は大きい。日本の硬直した言論空間を打破するために、動画はいい手段になると思います。

東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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