洗濯もどんどん手抜きになって、子どものパジャマは保育園時代にやめてしまったんです。パジャマを着る習慣も大事だと思うのですが、毎朝、「早く着替えて」とケンカするのはきつくて。ケンカのない生活を優先して、シワにならないスポーツウェア中心の生活にして、夜寝たときの服のままで保育園に行ってもらうように。
――へえー、とっても合理的!
職場に行くと、子育ての話をできる方がたくさんいて楽しいです。今は男性の研究者も楽しそうに子育てをしている人たちが多くて、女性じゃないと話が合わない、みたいなことはないですね。
――そのあたりはここ10年ほどの間にガラリと変わりましたね。
はい、先人の方たちの努力のお陰だと思っています。
――ご自身の子ども時代はどんなふうだったのですか?
宇宙が好きでした。といってもギリシャ神話には興味がなく、今思うと世界の全体構造が知りたかったんだと思います。小さいときは周りの大人から「おとなしい」とか「もっとお友達と遊んだほうが楽しいよ」とか言われたので、自分は人とうまく話せない人なんだと思っていました。
中学卒業後に父親の仕事の関係でオーストラリアのシドニーに行きました。オーストラリアの学校は2月が新学期で11月に終わるので、4月に現地の中3に編入して、高3まで3年10カ月過ごしました。親からは英語は3カ月たったら自然にしゃべれるようになるなんて言われていたけど、全然そんなことはなかった。結局、自分が覚えたものしかしゃべれるようにならないという当たり前のことに気づきました(笑)。
すぐに適応できたのが、数学でした。日本に比べたらとても簡単な問題だったので、最初のテストで学年1位を取ってしまいました。「今度の転校生はすごい」と噂になり、友達からも先生たちからも頼ってもらえた。英語ができなくて世話されてばかりだった自分にとって、人から頼られることはとても大事で、数学や物理、化学の授業をすごく楽しみました。
そのままオーストラリアの大学に行くこともできたんですが、やっぱり母国語でコミュニケーションしたかった。現地の人はとても優しかったんですが、それは私の英語力が足りないからじゃないか、このまま深いドロドロした人間関係を知らないまま育ってしまって大丈夫だろうかって思いました。
得意・不得意は環境次第
――それで、帰国して東大の試験を受けたら合格した。
帰国子女枠で、何とかギリギリ通していただけた感じでした。理科I類だったのでクラスのほとんどは男子でしたが、気の合う理系の人にたくさん出会えて楽しかった。ただ、好きだった数学は、難しすぎて嫌いになった。逆にオーストラリアでは英語が苦手だったのに、日本に来たら英語が得意な人として扱われたので、英語が好きになって得意になりました。得意とか不得意とかは、環境次第なのだとつくづく思いました。
――確かに。
理系に進むと決めたきっかけは、高2のときのシドニー工科大学での職業体験です。5日間で5つの研究室を体験して、研究職って何でもありで面白いと思った。東大に入ったら周りの学生の数学のレベルについていけず、学生実験も手順通りに要領よくできず、研究職は無理かもと思った。でも研究室に入ってみると、自分で計画して実験するのには向いていて、英語論文は早く読めるし、プレゼンを作るコツもわかったので、研究職でもいけるかもと思うようになった。