神恵内村での「対話の場」は16回を数える。公募で選ばれた村民たちが放射線の基礎知識やまちづくりについて学び、文献調査の進み具合などを共有する(撮影/堀篭俊材)

 槌谷さんは「賛成派の多くは寿都に処分場はこないと高をくくっているが、沖縄に基地問題を押しつけているように、国は一度食らいついたら簡単には手放さない」と警戒する。

 片岡町長は概要調査に進む前に住民投票で民意を問う考えだが、その前に町民に理解を深めてもらおうと勉強会を開くことを条件にしている。

 折にふれ、「全国で最低10カ所名乗りをあげれば落ち着いて議論できる」と繰り返してきた。

 特に対馬市について片岡町長は「スムーズにいけば寿都でも勉強会が始められる」と期待していた。だが、その対馬も手を挙げなかった。町議選で賛成派が上回っても寿都での処分場をめぐる議論は進まない可能性がある。

 寿都と同じ3年前に文献調査が始まった神恵内村。村議会で文献調査を求める請願が採択されたという点では対馬と同じ展開だった。最後は首長の判断で受け入れを決めた。

 北海道で音威子府村に次ぐ少ない人口約760人の村は、対馬の決断をどうみるのか。

 高橋昌幸村長(73)は「他の自治体のことをどうのこうのとは言えない。熟慮して決めたことなのだから尊重されるべきだ」と話す。対馬と反対の判断になったことについては「議会の決断を尊重した」と振り返る。

「人が来てくれれば」村の将来を心配する声

 寿都から北へ車で1時間ほど離れた神恵内村を歩くと気づくことがある。

 かつてニシン漁でにぎわった村の歴史を伝える郷土資料館、海を一望できるコテージやキャンプ場のある青少年旅行村、公園や道沿いにある公衆トイレの数々……。隣村にある泊原発関連で受けとっている電源立地関連の交付金で建てられた施設が目につく。

「この村は原子力との関わりが深い」と高橋村長も認める。「原子力政策は最終処分場があって完結する。国の政策にはできる範囲で協力したい」

 村の将来を心配する声があがっているのも事実だ。村に一つだけの小学校は全体で21人。今年生まれの新生児はゼロになる見通しだ。

 7月初めに村内であった「沖揚げまつり」。地元の味や伝統文化を楽しむイベントに参加した70歳代の自営業の男性は「人も減り漁業も厳しい。店を続けていけるのかもわからない」と話した。「とにかく人が来てくれれば」と処分場誘致には賛成だという。

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