昨年、横尾のアトリエに伺った際、制作中の「寒山拾得」を見せていただいた。その1週間後、再度アトリエに行くと、以前見た絵の雰囲気は残るものの、色彩が全く違う絵を示しながら、「前、描いてた絵がね、こんなんなってしもうたんですよ」と。「描いた」のではなく、あくまで「絵がそうなった」のである。
昨年の入院後、医師から描くことを一時止められたが、解禁されたら絵への飢餓感から1日に3点描くこともあった。
キャンバスの求めに応じて描き、来るものに常に従うというスタンス。「それこそ禅的で面白いね」と横尾は話す。
100にしばられない
さて、今回の展覧会のタイトルは「寒山百得」展である。それについて横尾は、
「拾(十)より、百にした方が面白い。それで(絵の)サイズは100号。それを100点描くと自分に負荷をかけたんですよ。アスリートのようにね」
しかし、10点くらい描いた時点で「寒山拾得」を描くことに飽きてしまった。
「でも、飽きてしまえば期待も欲望もないし、目的もない。何と競うこともない。何を描いてもいい。自由のキャパシティーが拡大した。これこそ、寒山拾得の心境とちゃうんかな」
そして描いた「寒山拾得」の数は結果的に102点となった。
100ではないのか──。
「100という枠を決めることが自らをしばる。だから100を通過点に切り替えた。これからも続くことをにおわせるのもいい」と笑う。
108点描いて煩悩の数にする、などとは考えなかったのかと問うと、「それでは意味を持たせてコンセプチュアルアートになって、自由を束縛する」と一蹴された。