横尾忠則の大規模な個展「寒山百得」展が開催中だ。「僕の今の興味は寒山拾得です」と、思うがままに描いた、そして描かされた102点の絵画。そこに、見る者が真の姿を見つけるのかもしれない。AERA 2023年10月16日号より。
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美術家・横尾忠則の展覧会「横尾忠則 寒山百得(かんざんひゃくとく)」展が12月3日まで東京国立博物館表慶館で開催されている。2021年に東京都現代美術館で開催された「GENKYO 横尾忠則」展以来、2年ぶりの大規模なものだ。古典としての「寒山拾得」の作品を多く所蔵する東京国立博物館で、横尾の手による現代の「寒山拾得(じっとく)」を同時に感じてもらおうという企画展である。
「寒山」と「拾得」は、中国・唐の時代の伝説的な詩僧の名前である。寒山と拾得は世俗にとらわれない生き方から「風狂」ともとらえられ、自由奔放な姿に寒山は「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」、拾得は「普賢(ふげん)菩薩」の化身とも言われた。寒山拾得が画題とされる絵では一般的に寒山は巻物を持ち、拾得は箒(ほうき)を持つ姿が描かれる。
なぜ、横尾は寒山拾得を描こうとしたのか。
「寒山拾得は昔から気になるモチーフではあったんです。というのは、昔、禅寺に目的もなく、遊び半分、冷やかし半分で修行に行ったことがあるんです。そこで1年間修行をして『ものを考えるな』ということを教わりました。神道の黒住宗忠神のアホになる修行と共通しています。禅寺で考えない修行をしたことで寒山拾得をより近くに感じて、寒山拾得のように目的のない生き方の実践の実現です」
そうして寒山拾得を本格的に描き始めた。しかし、寒山拾得を描こうと考えたのではなく、“出会いがしらにぶつかった”ように描き始めたそうだ。
絵に描かされている
「描き始める前には、何を描こうかぼんやりとはあるけど、描き始めるとそのぼんやりが消えてしまい、思わぬ方向に行ってしまう。僕が描いているんじゃなくて、絵に描かされているんです」
そしてできた絵については、「こんなん、できましたんやけどなぁ」となる。
寒山拾得は主題を持たないし、自由自在である。だから自由に描いていい。ただ、横尾は寒山拾得を描き始めた当初、先人が描いた仙人のような「寒山拾得的」な絵を描いていた。しばらくすると多様化して、寒山と拾得が現代社会の中に飛び込んできたり、変装したりするようになった。本来は男性二人だが、孫悟空のように複数になったり、女性になったり、ついにはロボットになったりしてしまったのだ。