オメガトライブから「日本を意識」
――「杉山清貴&オメガトライブ」にはたくさん楽曲を提供しただけでなく、ビジュアル面や世界観まで、プロデューサー的な面も担われました。
ビジュアル面や世界観は、プロデューサーである藤田浩一さんが当初から持っていたもの。僕はそのイメージを音楽で捉えて作曲やサウンドでカタチにしていきました。
「オメガトライブ」は単なるバンド名ではなく、一つのプロジェクトだったんです。もちろんプロデューサーとメンバーが中心なのですが、僕もそのプロジェクトの一員でしたから、僕の作曲家人生においてもオメガトライブはまさに「運命のバンド」ですね。
――オメガトライブに提供した曲で思い出があれば、教えて下さい。
そもそも最初に「杉山清貴&オメガトライブ」に書いた曲は、デビュー曲の「SUMMER SUSPICION」ではなく、「UMIKAZE TSUSHIN(「海風通信」)」だったんです。僕自身は、オメガのコンセプトを「ウェストコースト的なバンド」と認識してこの曲を提供したのですが、プロデューサーから「もっとドメスティックな要素を入れて、日本を感じさせる曲が欲しい」と注文がついたんですね。それで書きなおした曲が『SUMMER SUSPICION』です。今思えば、最初に書いた「海風通信」は、僕からオメガトライブへのプレゼンテーションだったわけですが、人の頭の中のイメージは、カタチにしてみないと分からないということですね。
オメガトライブとの仕事から「日本」を強く意識するようになりました。それまで僕らが目指していた「アメリカ、洋楽」一直線ではなく、洋楽と邦楽との融合、ドメスティックなエッセンスとの折り合いとでもいうのでしょうか。そういった意味でもやはり特別な存在です。
(構成 編集部・工藤早春)
※AERAオンライン限定記事