林哲司さん/撮影・山形赳之

――初めて聞く若者にはとても新鮮なのではないでしょうか。

 そうかもしれませんね。結果として、自分の音楽が受け入れられたとしたら、もちろん嬉しいですし、自分の作品は好きです。ちょっとおこがましいかもしれませんが、昨日、自分が作曲したイルカさんのアルバム「Heart Land」を聞いていて、「いいなぁ」と思ったんです(笑)。もちろん自分が作った曲の中で、結果としてあまり好きになれない作品もままありますが、基本的には、自分が好きになれるか、自分が納得するか、という信念で書いてきましたから。

 自分が今日のテクノロジーを駆使し、‘いま’を意識し創意工夫した新しい作品を書いても、80年代ぽい作品だと言われることがあります。

 少し前までは「古い」と言われているようで、そう評価されることに抵抗感があったけど、若い人たちはリスペクトをこめて言っているのが分かりました。今は一過性のブームではなく、僕らが「モータウン」や「フィラデルフィアソウル」に魅かれた感覚で「80年代シティ・ポップ」がカテゴライズされ、認知されたということなんでしょうね。

時代とミートする=ヒットする要素

――大勢のアーティストに楽曲を提供し、ヒットを飛ばしてきました。

 それぞれのアーティストに曲を提供し、一緒に創り上げていく過程で「時代とミートした」といいますか……いきなりではなく徐々に「ヒットする」要素を掴んでいったように思います。特に80年代にヒット曲を量産していく前段階で、竹内まりやさんと松原みきさんと同時期に仕事した経験が転機になりました。

――竹内まりやさんには最近(2021年)も曲を提供しています。長いお付き合いですね。

 竹内まりやさんには「September」を提供したのですが、ちょっと歌謡ポップスのようなメロディーになってしまったので恐る恐る提出したんです。でも、あの竹内さんの独特なウェットな声質と相まってポップチューンを生み出し、ヒットしました。同時期に松原みきさんには「真夜中のドア ~stay with me」を提供したのですが、僕としては完璧な洋楽志向で書いた曲だったのに、作詞家の三浦徳子さんの日本語の詞、松原さんのジャジーな声質がのったとき、思いもよらず新しい日本のポップスになりました。

 このアプローチの違ったアーティストが、洋楽と歌謡曲の狭間で、双方の要素をうまくブレンドした「中央」に寄っていったんです。

 自分が書いた曲が、想像外の結果につながってヒットした過程を、まざまざとみせられました。その後の作曲活動における大きな財産になりましたね。歌を書くということは、たんなるメロディーを作るだけではありません。言葉が入って、歌い手の声、そしてソウルが入って、初めて一つの作品としての力、メッセージが作られることが分かったんです。

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