そんななか、社歴や年齢に関係なく仕事を任せてくれる先輩が異動してきて、やっとトレードをやらせてもらう。毎朝8時前に出社し、海外拠点からのテレックスを調べ、いち早く情報をつかんで注文を出す。年長者を差し置いた態度に反発も受けたが、実績が認められて米国勤務が決まる。生意気かどうかよりも結果、性に合った世界だ。

 フィラデルフィアでの仕事は米国での先物取引だったから、日本との時差に悩まされない。家族で、楽しい思い出もつくった。でも、約2千日で終わる。92年12月3日、会社の灯りを消し、扉にかけた鍵の感触は、ずっと手の中に残っている。

 2013年4月に社長になったとき、社員たちにこんな言葉を贈った。「企業の上層部は、時流をつかんだ新規のビジネス提案に否定的になりがちだ。でも、過去の体験にとらわれていては、次の成長はない。上層部から否定されても立ち向かう気概を社員に持ってほしい」

 30代になってまもない若手の「先物が主流になる」との着想を受け入れた企業風土。それを失わないように、と飛ばした檄だ。「発想の自由さ」からの流れは、いまも止まっていない。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年10月9日号