天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すぐにイベント出演など、精力的に活動を再開した天龍さん。今回は“巨漢と小兵”にまつわる思い出を語ってもらいました。

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 巨漢力士で思い浮かぶのは、立浪部屋にいた若見山関。身長こそ177センチとそんなに大きくないが、体重が176キロもあるという巨漢で、俺が相撲の世界に入ってすぐくらいに初めて見たもんだから、余計に大きく感じたんだと思う。

 とにかく大きいという印象で、相撲自体は大味というか、脇が甘くて自分のからだの大きさだけで押したり、しのいだりしていたという印象だ。今は大きくても技術のある力士は多いが、あの頃はからだが大きい力士で器用な人はいなかったからね。当時は幕内で120~130キロくらいが普通だったから、若見山関は図抜けて大きかったよ。

 もう一人の巨漢力士は、大関までいった大内山関。身長が2メートルもあって、周りの力士が170~180センチ前後の時代だから群を抜いていたね。俺が相撲の世界に入ったころはもう現役を退いていて、時津風部屋で親方をしていたんだけど、それでもデカいね。初めてみたときも「これが大内山か!」と強烈な印象があった。

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デカい力士はやりづらい?