NHK大河ドラマ「どうする家康」で、ムロツヨシ演じる豊臣秀吉が話題だ。農民出身の苦労人で人たらしのイメージがある秀吉だが、ドラマでは底知れぬ恐ろしさと強欲さで視聴者を震え上がらせ、放送後にはSNSに「ムロ秀吉」なるワードが躍る。現在、ドラマでは関白に上り詰めた秀吉だが、そもそも、なぜ征夷大将軍ではなく関白なのか。
織田信長、徳川家康と共に「三英傑」として知られる秀吉の生涯は、わからないことや知られていないことが少なくない。ドラマの終盤戦をさらに楽しむために、歴史漫画「タイムワープ」シリーズの最新刊『豊臣秀吉へタイムワープ』(マンガ 一式まさと/ストーリー チーム・ガリレオ/監修 河合敦)から、秀吉をめぐる「三つのなぜ」を学びたい。
農民の家に生まれた秀吉はなぜ武士になれたのか
秀吉の生まれや子ども時代は、当時の記録がなく、謎に包まれている。江戸時代につくられたいくつかの伝記には、生まれは1537(天文6)年、生まれた場所は尾張国愛知郡中村(現在の愛知県名古屋市中村区)と記されている。子どものころの名前は、「日吉丸」とされているが、ほかにも、太陽のように輝かしいイメージの「日輪丸」だった、実は天皇の子だった、という話もある。いずれも大出世をした秀吉に「箔(はく)」をつけるための創作だったと思われる。
尾張の農民だったとされる父の弥右衛門は、尾張を治めていた織田家で戦があると、足軽(位の低い兵士)として戦場に駆り出されていたようだ。継父の竹阿弥とうまくいかなかった秀吉は、8歳ごろには家を出たとされ、最初は尾張にある寺(光明寺)の小僧となり、そこを出てからは針などを売る行商をしつつ、各地を放浪する日々を送っていたようだ。
この時期に、秀吉は読み書きや、商売の基本を学んだのかもしれない。また、さまざまな身分や職業の人たちと出会ったことだろう。こうした経験は、その後に大いに生かされることになった。さまざまな経験を重ねた秀吉は、15歳のころには「武士になって出世し、成功する」と目標を定めたようだ。この混乱した戦国の世ならば、農民出身の自分でも武士になれると判断したのかもしれない。