1597年、豊臣秀吉は生涯最後の城郭となる「京都新城」の築城を命じた。だが、その前後から秀吉は恐ろしい恐怖政治に突き進んでいた。政権を揺るがした「秀次切腹事件」にとどまらず、秀次家族全員の処刑、秀次重臣衆の切腹、聚楽第の破壊と、秀吉の命令は冷酷を極めた。政権崩壊のカウントダウンが始まるなかでの「京都新城」の築城は、豊臣家の存続という秀吉の悲願も託されていた。かつて幻の城郭といわれた「京都新城」…
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