
――パートナーの方との出会いも大きいと感じます。
出会いは駐在先のカイロで、パートナーは青年海外協力隊で来ていたんです。深く語り合うことで、かわいい妹のような存在から、ずっとつながっていたい人という存在になっていきました。
当時の私は男性でしたが、数年後に日本で再会したときは、すでに女性として生きることをカミングアウトし、女性ホルモン摂取も進めていた。私の外見に対するリアクションは彼女から特になかったので、ああ受け止めてくれたんだなと。
でも今回の執筆で、パートナーにも原稿をチェックしてもらっていて、新事実が発覚したんですね。実は再会から帰宅してパニックになり、ぐるぐると考えた、と。でも、結論はただ一つで、私という人間そのものが好きだと。アメリカなどのトランスジェンダー家族についての文献や論文などを読み漁って、頭の中を整理してくれたそうです。
――そうして娘さんが生まれ、どんな思いですか。
とんでもなく素晴らしいボーナスだと感じています。「女性」として生きることを選んだときに、同時に自分の中から消した希みですから、もうそれは言い表せない嬉しさです。無事に生まれてきてくれるか、顔を見るまでは安心できませんでした。
今、4歳なのですが、パートナーと役割分担して、保育園の送迎をしたり、公園で遊んだりして楽しんでいます。ママ友もいますよ。先日保育園で面談があったのですが、わが家はこういうカタチであるということを、改めてお伝えしました。
だんだん視野が広がり、違いもわかってくる年齢です。当然、「ママは男の子?」と疑問を口にするお友達もいるので、娘のためにもきちんと説明しようと。