
ただ幼い日は、将来を思い描こうとしたときに、ロールモデルが見つからなかった。テレビに出てくるようなトランスジェンダーの方の美しさに憧れましたが、ショーに出る表現者であったり、美容系の専門家であったり。自分にはそういった才能はないと思いました。そして、世界で活躍する仕事をしたいという夢があって、いい大学を出てキャリアを積むには、性を変えては目指せないんだと信じ込んでいたんですね。
生きづらさをかかえながら手堅く生きようと、目標に向かって道かどうかもわからないところを進み続けた結果、今にたどり着いています。
――女性として生きようと突き動かした転機はなんでしょうか。
2005年から5年ほど日本テレビの報道特派員としてカイロに駐在していたのですが、日本人一人という環境で30代前半の自分と向き合う時間が長かったんです。そして中東のテロや戦争の現場を取材しているなかで、人は簡単に死ぬ、ということを目の当たりにしたわけです。そうして2011年の東日本大震災。本当に何があるかわからない、後悔しないように生きなければ、とつくづく感じました。2012年に非常に理解のある職場の上司にカミングアウトし、トランスを進めていくわけです。
カイロ時代にトルコのイスタンプール空港でたまたま見つけた、名言が書かれたマグネットがあります。とっても心に響いて、それ以来冷蔵庫にずっと貼っているんですが、「Life is not about finding yourself. Life is about creating yourself. 人生とは自分探しではなく、自分を創ることなのだ」。まさにその通りだと思います。