子供の頃からジャニーズの音楽や芸能が好きだった私にとって、彼らの存在は私の「性」にも多大な影響を与えました。特に、長年ジャニーズアイドルが打ち出してきたビジュアルの方向性に込められたジャニー氏の性的価値観は、子供だった私にも充分に伝わっていました。幸い私には「ロリコン趣味」はなかったものの、ジャニーズ的要素に興奮・欲情しながら大人になった人間だと言えるでしょう。

 当然ながら、ジャニー氏が働いてきたとされる所業を擁護も肯定もするつもりはありません。しかし、自分の「性」の内訳を顧みると、世間の時流や論調に乗っかってジャニーズの存在や歴史を全否定することも私にはできません。

 今は、スマホやパソコンを開けばジャニーズ批判の記事ばかりです。ジャニーズ事務所は先日ついに4時間にも及ぶ記者会見を開き、マスコミも「問題に向き合わず放置してきた責任」を連日自問し、自己否定と反省のスタンスを強く押し出しています。

 ネットでは主に「長年にわたるマスコミの沈黙」について糾弾する人が多いようですが、今この問題がこのレベルまで表面化したのは、タイミングとして相応だったと私は感じています。

 そもそも日本社会が性的少数者をちゃんと認知したのは、ここ10年弱の話です。それまで「男好きの男」なんてものは、法律上はおろか、人々の概念の中にすら存在しない、言わば「遠い世界の人」でしかなかったわけです。故にジャニー氏の性的嗜好にまつわる噂や暴露が出たところで、「怖いね」「気色悪いね」「信じられないね」で終わっていたのも不思議ではありません。
 

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屈折した性の葛藤など、結局は