市電の運転手は木製ハンドルを持ち、装置に挿してブレーキなどを操作した。その「ほんまもん」のハンドルが、欲しくて欲しくてたまらなかった(撮影/山中蔵人)

 この両親と過ごした「おもしろおかしく」と「ほんまもん」が融合した日々。それが、「HORIBA」の表記で知られる会社を、分析や計測の機器メーカーとして世界的な存在に育てる礎となる。

家を改築した迎賓館 こだわった和風の粋 木々を残し苔もむす

 雅風荘の中へ入ると、正面に客の随行者や運転手らの控え室があり、左に磨き上げた廊下。廊下を進むと、右手に食事をする大きな部屋に出る。外国人の客を考慮して、板敷きで掘りごたつのように足が下ろせるようにしてある。床の間に、父の書「自今生涯」なども並ぶ。

 かつては畳敷きで、両親や自分の部屋があった。子どものころ、母が誕生会をやってくれ、友だちを呼んで騒いだ。正月には社員たちでいっぱいになり、みんな、父が焼いたローストビーフを食べ、たらふく飲んでいた。そんな光景が、浮かぶ。

 改築するとき、地震や防犯への対応を施して瓦は葺き替えたが、和風の外観と雰囲気は変えない。庭も木々を残すだけでなく、苔もしっかり生えるようにした。京都らしさを守り、四季折々の風情や「和」の粋に、こだわった。家屋に隣接していた蔵は、しゃれたバーにした。子どものころ、いたずらをしては父に放り込まれたところだ。

 京都には美味しい食事の店がいくつもあるが、外国人には「家」へ招いての歓待が、最高のもてなしと喜ばれる。改築に1年をかけ、2億円を投じて設計士に「建て替えたほうが安い」と言われたが、大切な記憶が詰まった姿は残す。母から受け継いだ「ほんまもん」の追求に、妥協はない。

 狙い通り、海外の取引先のトップたちがくると、感激してくれる。くつろいだ雰囲気のなかで、仕事のことよりも、互いの国の文化や家族の話で弾む。フランスやドイツの企業をいくつか買収してきたが、幹部がくると「懸け橋」になってくれる。

遊び場の工場に色とりどりの器具 ものづくりが身近に

 堀場さんの『源流Again』には、続編がある。

 6月に、雅風荘の前にいた中京区の千本三条の一角を訪れた。父が1953年1月、堀場製作所を設立し、旧製粉工場を買って社屋にしたところだ。5歳になる直前だった。最後に訪れたのは、もう30年前。素直に「やっぱり、懐かしいな」の言葉が出た。

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