ニッチでも輝く会社を目指した父の意志と、高価なよりもいい品を大事にした母の精神。雅風荘にくると、そんな父母の傍に、戻ってきた気がする(撮影/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2023年9月18日号では、前号に引き続き堀場製作所・堀場厚会長兼グループCEOが登場し、旧家で現在の会社の迎賓館である「雅風荘」などを訪れた。

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 京都市北区紫野南花ノ坊町。金閣寺に近い住宅街の坂を上っていくと、左手に、和風の家が現れた。堀場厚さんが小学校3年生から大学を卒業するまで、両親と住んだ家だ。角地に石垣を高く積み、その上に垣根の木が並び、外から家の中はみえない。入り口の石段を上がると、左右の松の緑がまぶしい。

 子どものころは、近隣から西陣織の織機の音が聞こえた。いまは戸建ての住宅が多く、静かだ。少し歩くと、見晴らしが開き、左大文字の山がみえる。家は大学を出て米国で勤務した間に「雅風荘」と名付けられ、社内の懇親会などに使われた。これを社長時代の2003年、堀場製作所創立50周年のときに宮大工に頼んで改築し、会社の迎賓館とした。

 ことし4月、その両親と過ごした旧家を、連載の企画で一緒に訪ねた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 雅風荘は、堀場さんがビジネスパーソンとしての『源流』とする父母から継いだ二つの価値観が、融合された場だった。他人の真似を嫌い、規模は小さくても際立った独自技術を持つ会社を創立した父。人生80年のうち、最も可能性の高い40年を充てる仕事が「おもしろおかしく」でなくて何の人生か、と繰り返し口にした。

 贅沢は否定するが、着物でも食器でもいいものを大事に使った母。小学校の授業参観日に和服をピシッと決めてきて、友だちがみとれるのが自慢だった。「ほんまもん」をみきわめる眼を持つ価値も、教えてくれた。

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