内閣改造・自民党役員人事の目玉とされ、党4役の一つである選挙対策委員長に就任した小渕優子氏。元首相の父・恵三氏の後を継ぎ、「女性初の首相」を期待する声もあったが、2014年に政治資金をめぐる不明朗な会計処理で表舞台からは退いていた。満を持しての復活か。その人物像を事件の経緯や過去の報道から探る。
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34歳で初入閣は戦後最年少
小渕氏のキャリアは順風満帆だった。
成城大学卒業後、TBSに入社。2000年、当時、首相だった父・恵三氏が脳梗塞(こうそく)で倒れたことを受け、当時秘書だった優子氏が出馬した。得票率76%と圧倒的な得票で当選を果たした。当時は26歳という若さだった。
08年には、麻生太郎内閣で戦後最年少の34歳9カ月で少子化担当相として初入閣。第2次安倍晋三内閣では財務副大臣に、14年9月の内閣改造で経済産業相に抜擢された。そう遠くない将来には、女性では初めての首相に、とも目された。
そうした華々しいキャリアを歩んできた優子氏だが、14年に「政治とカネ」の問題が表面化し、その歯車は大きく狂い始める。
週刊新潮の報道を皮切りに、政治資金の不明朗な会計処理が次々と発覚した。明治座(東京)での「観劇会」では、「小渕優子後援会」など4つの政治団体の政治資金収支報告書に、収支に計約6千万円ものズレがあったり、そもそも収支が記載されていない年もあったりした。最終的には約3億2千万円もの虚偽記載があった。