14年10月、就任後わずか1カ月で経産相を辞任したが、「議員として、しっかり政治家としての説明責任を果たしていきたい」と議員辞職については否定した。
東京地検特捜部が家宅捜索した際、会計書類を保存したパソコンのハードディスクがドリルで破壊されていることが発覚。それがきっかけで、ネットなどで「ドリル優子」とやゆされるようになった。
特捜部は、元秘書ら2人を起訴したが、小渕氏については、虚偽の記載を認識していた証拠がないとして、不起訴処分(嫌疑不十分)とした。元秘書ら2人は15年に政治資金規正法違反(虚偽記載など)で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
説明の記者会見は前橋で
同年10月に小渕氏の依頼を受けた第三者委員会が事件について、「小渕氏に監督責任があり、責任は軽微とは言えない」とする調査結果をまとめた。この結果を踏まえ、前橋市内で会見を開いた小渕氏は秘書への監督責任は認めて謝罪した。
しかし、政治団体の不明朗な会計処理については「スタッフに任せきりにしていた」として自身の関与を否定し、今後は「しっかり監督責任を果たしていきたい」と述べるにとどまった。また、再調査についても、「現段階ではするつもりはない」と述べ、問題の幕引きを図った。
小渕氏はその後、内閣や党の要職などには就いていなかった。しかし、19年から党県連会長を務め、21年には岸田総裁の元で組織運動本部長に就任した。今回の党4役就任でいよいよ“表舞台”に復帰した形だ。