1992年、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に11期生として入学し、お笑いの世界へ。コンビで活動したのち、現在はピン芸人として活躍する。吉本興業東京本社所属(撮影/写真映像部・上田泰世)
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 ラグビーワールドカップ2023が開幕した。「Our Team」を合言葉に、異なる個性を発揮して目標へと団結する選手たち。高校時代にラグビー部に所属していた、お笑い芸人のケンドーコバヤシさんが、ラグビーの魅力を語った。AERA 2023年9月18日号より。

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 高校3年間、ラグビー部でプレーしました。入学した直後、先輩に「お、キミ体格いいね。とりあえずこれに名前書いてよ」って書かされたのが入部届だった。もともと柔道や空手をやっていたから、ラグビーは格闘技みたいでめちゃくちゃおもしろかったですね。

 ラグビーの魅力はぶつかり合い。それから、いろんなタイプが試合に出られることですね。同じタイプばっかりいてもしかたないからね。バラエティーのひな壇芸人と一緒だな。

 ラグビー部にいた3年間は、常に体のどこかに血がにじんでいました。試合開始直後にタックルをしたら意識が飛んで、そのまま最後まで無意識でプレーしていたこともあります。気がついたら打ち上げのカラオケでした。でも怖くはなかったな。当時は荒っぽい時代で、すごいラフプレーを仕掛けてくる学校もありました。やり返したら、審判にはめちゃくちゃ怒られたんです。でも、帰りのバスで顧問の先生に「よくやったな」って褒められて、「あ、ええスポーツやな」って思った。

 3年生のときはキャプテンをやりました。なんで選ばれたんでしょうね。チームでベンチプレスを一番挙げられたからじゃないかな。日々の練習のまとめ役はリーダーシップのあった副キャプテンに任せていました。仕切りは副キャプテンにやらせて、試合のときにパワーを出すやつをキャプテンにしておこうという先生の考えだったのかもしれません。

 僕は試合が大好きだったんです。練習がとにかくしんどかったから、試合は楽で。前後半40分ずつ、たった80分走れば終わるんだから。当時は適当に楽しくやっていたつもりだったけれど、今振り返るとあんなに頑張っていた3年間はありません。ありがたいことに大学からラグビー推薦の話もいただきました。でも、進学するイメージがわかなくて辞退しました。

 ラグビーをやっていてよかったと思うことはたくさんあります。まず、体力がついた。若いころはどんなむちゃでもできました。お笑いで食べていけなかったころはめちゃくちゃバイトしてました。いくらでも働けたし、そのあと先輩に呼ばれても、いつまでも飲めました。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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