なかむら・じゅんじ 1946年、福岡県生まれ。PL学園、名古屋商科大学を卒業後、キャタピラー三菱でプレー。76年からPL学園コーチ。監督就任の翌81年春優勝。甲子園通算58勝10敗、春夏各3回の優勝で98年に勇退。名古屋商大監督に就き、総監督を2018年退任。著書に『甲子園最高勝率』ほか。

 準決勝の池田戦は、注目投手の水野雄仁君です。選手を鼓舞する意味でも、「インコースは思いっきり引っぱれ」と伝えました。水野君はインコースのシュートや直球で打者を起こし、外角のスライダーでの勝負が多い。水野君にすれば「4番の清原を抑えれば大丈夫」くらいの気持ちだったでしょう。清原は外角のボールで4三振しますが、バットを一握り以上短く持った8番の桑田がインコースを振り抜いてホームラン。水野君のショックはどれほど大きかったか。最後は決勝の横浜商戦で清原がライトにホームランを放ち、「KK」の1年の夏が終わりました。

 練習グラウンドのフェンスをぐるりと〝ギャル〟が取り囲むようになったのはそれからです。センター後方に寮の玄関に行く道があるんですが、そこにギャルが待ちかまえている。ガードをして「走って行け!」なんてこともありました。寮に「娘が見学に行って帰ってこないんですけど……」と、親御さんから電話がかかってきます。「早く帰んなさいよ」と言いに行くわけですが、夜の街をフラフラするよりはいいのでは?と、内心では思っていました。

「KK」の2年時は、春夏ともに準優勝。怖いものなしの状態で85年の選抜に出場します。清原を大きく変えることになるのが、伊野商に1−3で敗れ、渡辺智男君(元・西武)に喫した3三振でした。清原はベンチで悔し泣きしながら、道具を片づけていました。学校の寮に戻ってミーティングを終えた後、30〜40分経ったでしょうか。雨天練習場でマシン打撃の音がするのでのぞいてみると、清原が上半身裸で汗だくで打ちこんでいました。敗戦後は毎晩、200本とか300本の素振りをしたと語っています。やれるだけのことをやったという自負が、3年の夏の優勝につながった。また、その先輩の姿を立浪和義や片岡篤史などの1年生が見てきた結果が、87年の春夏連覇だったのだと思います。

(取材・文=守田直樹)

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