「日本にもクラシック音楽の作曲家がいたんだぁ」。遠ざけていたクラシックが身近に思え、伊福部らのレコードを探しまわった。ところが、邦人作曲家のレコードは当時僅少。ならばと、音楽雑誌の広告に○×をつけて演奏会通いを始めた。
高校のときは年100回ほど演奏会に行き、並行して廃盤、中古盤を探した。伊福部が影響を受けたロシア出身の作曲家ストラヴィンスキーや、伊福部の弟子の黛敏郎らの作品も聴き、いつしか大のクラシック愛好家になっていた。
もう一つの流れは戦争モノだった。
「戦争映画が好きで、軍艦への憧れがありました」
幼稚園の頃、怪獣図鑑や未来図鑑よりもお気に入りだったのが『日本の軍艦』という豪華版の写真集だった。第2次世界大戦期の戦艦から航空母艦、駆逐艦、潜水艦まで載っていた。
歴史は音楽へリンクし音楽は歴史に重なる
そんなあるとき、たいへんなことに気づいた。あまりにたくさんの軍艦が撃沈されていたのだ。「どんな負け方をしたらこんなに沈没するの?」
謎を解くべく、子ども向けの戦記物を読み始め、小学校卒業時には大人が読む戦史、作戦回顧録なども読破していた。好奇心はとどまり知らず。中学生になると、三島由紀夫らの文学作品を通じて戦争の思想や観念に関心が移った。「玉砕や神風特攻隊の精神はどうやって生まれたのだろう」
大川周明や北一輝らに興味がわき、戦艦を覚えるように右翼思想家を覚えていった。この流れから慶應義塾大学法学部政治学科に進学している。
ただし、怪獣モノも戦争モノもその先にあった音楽も政治も思想も、片山の中では混然一体としていたようだ。本人が言う。「疑問を手繰っていったら全部がつながっていました」
(文中敬称略)
(文・藤生明)
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