
元検事総長の土肥孝治氏が8月1日、心不全のため亡くなった。90歳だった。記者は2020年5月、土肥氏にインタビューをしている。黒川弘務・元東京高検検事長が、「賭けマージャン」問題で辞任に追い込まれたときだった。
「今、黒川君が目の前にいれば『立場をわきまえろ』と大声で言ってやりたい」
土肥氏は怒り心頭だった。
問題を起こした黒川氏は法務省事務次官を5年経験するなど、法務官僚としての手腕を買われて出世してきた「赤レンガ派」だった。当時の安倍政権に近い人物とされ、「官邸の守護神」と言われることもあった。20年1月、検察庁法で決められた検察官の定年を超えられるよう、安倍政権は閣議決定で黒川氏の定年を延長した。黒川氏を検事総長に就任させようともくろみ、官邸が強引な法解釈で押し通したのだった。
だが、週刊文春の報道で、黒川氏が新聞記者らと「賭けマージャン」を楽しみ、ハイヤーの代金を新聞社に負担させていたことが発覚。黒川氏は辞任に追い込まれ、懲戒処分も受けた。検察や安倍政権へも大きな批判が渦巻いた。
そんな渦中に、記者は土肥氏を訪ねたのだった。
戦後最大といわれた経済事件を指揮
土肥氏は京大卒業後の1958年、検事に任官。大阪地検特捜部など捜査現場で多くの大型事件や汚職事件を手がけた。大阪地検検事正時代には、戦後最大の経済事件といわれるイトマン事件の捜査を指揮した。大阪高検検事長、東京高検検事長を経て、96年1月から2年半、検事総長を務めた。40年に及ぶ検事キャリアのうち、大半を関西で過ごし、「関西検察」の中心的存在であり、黒川氏とは対照的な「現場派」だった。
黒川氏の問題について、メディアの取材に元検事総長や検察幹部らが実名で、黒川氏や検察に「モノ言う」ことはほとんどなかった。そこで、土肥氏を直撃して、「モノ申してもらおう」と思ったのだ。
土肥氏もインタビュー当初は、
「黒川君は全然、知らんねん。悪いな」
と慎重な口ぶりだった。しかし、次第に検察幹部としての黒川氏のありようには怒りが抑えられなくなったようで、冒頭のような発言が出てきた。