理にかなう対応ができなかった自分が嫌になった紀藤は、以来、何か言われた場合の反論を常に用意しておく習性を身につける。県立高校では長髪をなびかせ、自転車通学を始めた彼は、教師の着帽命令を拒否して、やっぱり殴られた。髪の長さは自由だった名門校は、制服・制帽にはやかましかった。「教育委員会に訴えます」

 反撃に出た紀藤を、教師は避け始める。以降は触れず当たらず、無視されたような高校3年間になりました、と彼は苦笑した。高校生活の前半までは、通訳になりたかった。第1志望も東京外国語大学。狭い社会から抜け出したい一心だった。

 ──それが、どうして弁護士に?

「校則ってルールじゃないですか。たかが帽子を被るか被らないかでも。だったら、ルールは自分の敵なんだから、敵を深く知らないことには対抗できないと思ったんです。

 でね、僕は人権を侵害する制度があるなら、それは法が変わるべきだと考えるんですよ。法律にこう書いてあるからダメです、なんて言い方はしません。理不尽なことが起こったら、まず法の解釈の枠内でできることを考え、難しければ新しい法制定を求める。そういう感じでやっています」

「相手のことを知らないと」 教義から勉強して説得した

 そんな紀藤に筆者が初めて会ったのは、91年の夏。弁護士になりたての30歳だった彼は、第二東京弁護士会の消費者問題対策委員会で、ダイヤルQ2問題部会の世話人を務めていた。

 一方の筆者は、週刊誌の契約記者を辞めて独立したばかりの33歳。紀藤には当時、相次ぐトラブルで社会問題化していたNTTのダイヤルQ2(事業者の電話による情報料の回収代行ビジネス)の実態を尋ねた。翌々93年に出版された拙著『国が騙した──NTT株の犯罪』(文藝春秋)に、彼のコメントを含む記述が残されている。公共性を放棄した元電電公社の対応を紹介した後、

〈「要するにNTTのやり方は、今後何年かのうちにトラブル防止に役立つ技術的進歩を待つと同時に、社会全体に周知させることによって、なし崩しにダイヤルQ2を定着させてしまおうとするものに他なりません。すでに営利の中に組み込まれた商売を簡単に止めるわけにはいかないというのが企業の論理なのでしょうが、これでは七〇年代、水俣病の患者に対して政府が取った態度と一緒です。この間も被害者は続出しているというのに。これがまっとうな大企業のやることでしょうか?」〉

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