そこで、中年期になると、多くの人はこれまでの人生を振り返り、「このまま突っ走ってしまってよいのだろうか?」「何か忘れていること、見失っていることはないだろうか?」「これが自分が望んでいた人生だったのだろうか?」「はたして自分らしい人生になっているだろうか?」「何かを変えるなら今のうちだ」というように、青年期を終えて社会人になってから長らく蓋をしておいたアイデンティティをめぐる問いが頭をもたげてくる。ふとした瞬間に自分を振り返ると、そうした問いが心の中で活性化していることに気づく。
そこで転職したり脱サラしたりと思い切って生活を変える人も出てくるが、同じ仕事を続けるにしてもプライベートとのバランスなど何らかの変化が生じる場合もある。だが、家族を養うため、老後の資金を蓄えるため、あるいは住宅ローンの返済に追われるなど、経済的条件を無視するわけにはいかず、アイデンティティをめぐる問いを再び抑圧し、自分を振り返りつつあれこれ考えるのをやめて、ひたすら仕事生活に邁進する人も少なくない。
だからこそ、勤勉に働き必死に稼いできた職業生活を終える老年期の入り口に差し掛かったとき、抑圧が緩み、アイデンティティをめぐる問いが活性化するのである。職業生活の縛りから自由になるのだから、今度こそほんとうに「自分らしい生活」をつくっていくチャンスと言える。
定年が近づきつつあるとき、あるいは定年後の再雇用の期限切れが目前に迫ったとき、「これから何をして過ごせばよいのだろうか?」「どうしたら心地よい毎日にできるのだろうか?」「多少の収入を得ながら、自分らしく暮らすには、いったいどうしたらよいのだろう?」などといった思いが頭の中を駆けめぐる。その答えは、簡単には見つからないのがふつうだ。
職業的役割から解放され、自由になるにあたって、どうしたら自分にふさわしい生活になるのか、どんな生き方が自分らしいのかがなかなかわからず悩む。