2018年、国有地売却に関する財務省の決裁文書が改ざんされ、大問題になった森友学園問題。市民団体の刑事告発が行われていたが、当時の財務省理財局長の佐川宣寿氏らに下ったのは「不起訴処分」だった。その結論に国民の多くが納得できなかったが、“物言う弁護士”郷原信郎氏は、「十分に予想可能だった」と振り返る。その理由について、『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、解説する。
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国会での審議あるいは国政調査権の行使等に関して重要な事実を隠蔽したことは、行政権の行使について内閣が国会に対して責任を負う議院内閣制・議会制民主主義の根幹を揺るがしかねない許すべからざる行為であることは間違いない。
しかし、検察の実務、そして、過去の事例との比較から、不起訴処分は十分に予想可能だった。この「決裁文書書き換え」は、一部の表現や交渉経緯等が削除されたに過ぎず、国有地の売却処分の可否についての決裁文書としての基本的な内容が変更されたわけではなかった。決裁文書の内容に実質的な変更はないとの理由で、虚偽公文書作成罪については不起訴となる可能性が高いことを、私は問題発覚当初から指摘していた。
実際に官公庁で作成される文書については、「書きぶり」という言葉もあるように、厳密に言えば事実と異なる部分がある表現というのも、行政目的達成のためには一定程度は許容されるという考え方があった。
「虚偽の公文書」という文言を、「少しでも事実と異なる記載がある文書はすべて虚偽の文書に当たる」とすると、公務員が作成した文書の多くについて虚偽公文書作成罪が成立することになりかねない。「虚偽の公文書」については、「その文書作成の目的に照らして、本質的な部分、重要な部分について虚偽が記載された場合に限られる」という限定を加えてきたのが、自身も「行政機関」である検察の刑事実務だった。